1歳児の嘔吐と、切羽詰まる仕事と

 曇って暗めであるにもかかわらず、1歳児が少し早めに起きた朝。午前5時半。
 昨日は遊び回ってあまり食べなかった朝ごはんを、今朝はよく食べた1歳児。6時から30分間ほどの間に。昨日、保育士が連絡帳にくれたアドバイスが生きました。

 そんな何気ない朝を過ごしていましたが、7時ごろ、1歳児が軽く嘔吐。あまりにも(いつも通り)元気な様子に、食直後に “はしゃぎ過ぎた” だけだろうと思いつつ、着替えと掃除。せっかくしっかり食べられたのにと、残念にも思いつつ。この後、普通に保育園にも仕事にも行くつもりでした。

 この時点までは。

 が、朝7:35、再び嘔吐。今度は、食べた朝ごはんを全部吐いただろう、という量。
 こういう状況が、「どのタイミングで、どのくらいの時間をフリーにしておけばいいのか」という問いへの答えを、再び無力にしてくれます。

 初めての経験を前に途方に暮れつつ、病院での診察を予約。…をしようと思ったら、いつもお世話になっている小児科は、木曜のために休診日。そこで、以前に木曜にお世話になった病院へ行くことに。予約システムのない昔ながらの病院であるため、予約なしで窓口へ。
 病原の多い所に、長く居たくないものですが…。

 とりあえず、行き先さえ決まれば床の掃除。

 そうこうしているうちに、1歳児は少しの抱っこで眠ってしまいました。普段はこの時間に眠ることなど、決してありません。熱はないのですが、吐いて疲れたのでしょう。朝8:20。

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 この時間に、今日中に絶対に片付けなければならない仕事を整理する。こなすべきは、夕方の東京での2時間の講義と、共同研究立ち上げの計画書の、2つだけ。午前と昼の打ち合わせ2つは、申し訳ないと思いつつ延期と欠席。
 他のデータ解析、研究計画書修正・提出×2、研究発表ポスター作成×2(期限は明日だが、両方まだ手を付けられておらず)は、すべて明日にしわ寄せ。他に取れる/取りたい選択肢はない。それも悪くない。使える資源(今回の場合は時間)が限定されることで、生産性は一気に上がるのだ。
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 昨夜、奇跡的に筆が進んで一気に書き上げた原稿(期限は7日後)が1つ。教授からのOKのお返事をメールで戴き、先方に送付。
 論文投稿の最終準備をしていた先生には、最後の相談を電話で失礼して完了。

 そして、病院へ。

 結果は、聴診でも触診でも重大な所見がなく、季節の変化や疲れからくる胃腸炎であろうとのこと。おそらく、半日から一日で収まるであろうとのこと。もし高熱が出て二日以上続くようであれば、ウイルス性の胃腸炎も疑われることになりますが。ひとまず、服薬と様子見で十分とのことに。

 病院から帰った後も、1歳児は30分もしないうちに、抱っこの中で寝てしまいました。体調不良というよりは、ただとにかくおつかれの様子の1歳児。
 布団に降ろすと泣いてしまうので、抱っこで仕事。

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 改めて、会って進める仕事と会わずに進める仕事とを分けられない人とは、一緒に何かをすることはできない(したくない)と思う。そう、これは必要条件。このことが、非常時にも仕事(プロジェクト、その他の活動を含む)継続できるか否かも大きく左右するのだ。
 非常時には使えるリソースも限られる。そのために、生産性を上げられる能力は非常時にも生きる。
 そもそも、生産性が上がってリソースに余裕が生まれることで、初めて成長や革新が可能になる。しかし、それだけではないということ。リソースに頼らない工夫が、様々な状況下で仕事を止めないことを可能にするのだ。

時間も体力も有限の資源(リソース)
「20時間分」の仕事に10時間かかったら失敗です
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 夕方にどうしても都心に出なくてはならなかったので、お昼から、実家の母に来てもらい。車で1時間ほどで来てもらえるのは、ギリギリの距離だったでしょうか。助かりました。

 夕方過ぎに都心での講義を終えて、学生と今後の予定の確認も行い、何とか帰ってきたところです。
 いろいろ切羽詰まりそうでなくはないのですが、こうやって記録できるだけの余裕はあります。非常時の記録を残すことの重要性は、軽視したくないところ。

 また明日。