3回目の理科大卒業式

昨日は、年度末イベントの2日目。
理科大の学位記・修了証書授与式でした。
私が日本武道館でこれを迎えるのは3回目で、
いよいよ、これを最後に、
長かった学生生活に終止符を打ちます。

一生は、一瞬の積み重ね。
始まりは、小さな一つから。
それを大切にしなさい。

これが、学長からの祝辞で頂いた御言葉でした。
今まで通りにやれば良いと、信じたいところです。


博士課程の学位記授与式は、修士までと違い、
武道館の別室に誘導され行われました。
で、それが終わった後、うちの教授から
おそらく初めて、プレゼントを頂きました。



一瞬、見てもなんだか分かりませんでした。
カフスボタンと、・・・ネクタイを止めるもの。
(また、名前を忘れてしまいました・・・。)
これも使える人間であれ、ということでしょうか。
そんな教授からのメッセージのように思いました。

やっと、学生生活を終えました。
これから、いよいよスタートです。


●大学
 皆が病気にならないように、予防できるようにするには、どうすれば良いんだろう? ということを勉強したくて、理科大の薬学部に入りました。
 この課題について議論できる授業は、多くはありませんでしたが(多い必要もない)、私は頭の中で、事あるごとにその課題について考えていました。
 そして、これを考えさせてもらえる研究室に入りました。

 ただ、私の中で研究は、あくまで「卒業研究」でした。就職活動をしました。公務員試験を受けましたし、企業の面接も受けました。自分のやりたいことは、ある程度はっきりしていましたが、それを説明する力、また自分がどんな人間かを説明する力はまだまだ足りず、もっと勉強しなくてはと思いました。

 「伝えたいこと・有用な情報を周囲に・社会に伝える。」 これが、私のやりたい重要なことの一つでした。そのために、大学院では研究をしながら、色々な人に会って色々な人と話をさせてほしいと、教授にお願いしました。教授の答えは、「それはさせてあげられるぞ」。
 私は、大学院への進学を決めました。

●大学院
 「子宮内膜症」という病気を治すことを視野に入れた研究を始めました。まさか、“治療”を目的においた研究を自分がするとは。しかし、この頃には“予防”の難しさを感じ始めていました。
 教授には、本当に多くのチャンスとモチベーションをもらいました。それを活かすのに必死でした。少なくとも、ある時期までは。いろんな意味で。

●大学院博士課程
 「毒性学」という一見 “お金にならないこと” にどう価値を見出すかは、常に課題として私に降りかかってきました。広く社会の中での問題に視点を移すと、毒性・危険性を喚起することは、産業界との対立を招くこともあります。

 しかし、今も未知の毒性を持ったものが多くあります。ある物質の、未知の毒性によって、その因果関係すらも分からずに苦しんでいる人がいる可能性があります。
 その人たちを救うため、救うための解決策を提示するために、「毒性学」は必要なのだと思います。

 “お金” について言えば、「毒性」による不都合を被って、その対策のためにお金を払っている人がいます。

 もしその原因がどこかにあったときに、その責任は誰が取るというのでしょうか。

 「それを無視した開発は、産業の発展とは言わない。」 今、そのように私は思います。そのような考えを持った上で、独り善がりではない議論や研究を進めるために必要なもの・・・ それが何かを考えたことが、博士課程で学ぶことのできた、一番大きなことだったと思います。

 それを学んだ上で、どうするか。

 5年間できなかった、“予防”を目指す研究が、いよいよできるのではないかと思っています。

 何とか、人に“意外と簡単に”健康になってほしい。
 すべては、今から始めます。