もう2週間以上前になってしまいましたが、11月3~8日に滞在した沖縄では、太平洋戦争、沖縄戦の記憶を残す場所を何ヶ所か回ってきました。
ひめゆり平和祈念資料館
沖縄戦が激しかった時期の、陸軍病院の凄まじい実態が記録されています。
病院とはいっても、中がゴツゴツした「ガマ」(洞窟)に木の板を置いただけの、劣悪な環境でした。そして、敵軍が沖縄本島に上陸し、止められなくなったとき、悲劇を招いた「解散命令」。当時の悲劇を経験した方が、その時の記録を語ってくれました。
伝えたいことをどう伝えるかというレベルではない、とにかく伝わってくることが衝撃的なお話。沖縄の地上戦の惨劇に、原爆をも超えるものを感じ、非常に衝撃を受けました。
平和祈念公園
皆さんもご存知でしょう、沖縄の平和祈念公園。無数の、沖縄戦で亡くなった方々の名前がここに記録されています。
平和祈念公園の中心に泉があります。日本地図になっていて、沖縄から水が湧いています。そして、その水による波が、アジアから世界へ広がっています。「戦争を起こしてはいけない」という沖縄からのメッセージを、世界に広げていくのだという強い意思が感じられました。
修学旅行生がたくさん来ていました。他国の人も来ていたのが印象的に残りました。私たちが訪れた2009年11月8日には、戦没者の成仏供養会も行われていました。
喜屋武岬
沖縄本島最南端の岬。きれいな景色です。しかし、ここも悲劇の地になりました。敵軍から逃げようとし、行き場を失った市民には、ここで自決をする方もいたそうです。
今は、ここに「平和の塔」があり、この地も平和を祈る場所になっています。
この岬と平和祈念公園との間には、「平和創造の森公園」があります。海沿いの道を通ると、その近くを通ることができます。ここにも、屋外に「ガマ」(洞窟)が残っています。
最後に、「安保の見える丘」から嘉手納基地。
平和は、どのようにしたら守られるのか? 私たちにはなかなか理解できない事情もあるのでしょう。しかし沖縄は、「平和は守られなくてはならない」ということを間違いなくこちらに訴えています。
沖縄には今も多くの米軍基地があります。この “日本、アジアの平和を守る” という大義の下で、沖縄の人たちの生活がある程度以上犠牲になっているのも現実です。
私たちがひめゆりや平和祈念公園を訪れた日、沖縄では基地閉鎖、移設反対を求める県民大会が開かれていました。
・2009年11月8日辺野古への新基地建設と県内移設に反対する県民大会
この県民大会に合わせ、これに同調したアクションが大阪でもあったそうです。
・11月8日 沖縄の県民大会とともに「辺野古新基地建設反対!」」
・11月8日 沖縄県民大会にあわせ大阪アクション
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最後に、2009年11月6日に、天皇陛下がご即位20周年に際して行われた記者会見を紹介して、このエントリを終えたいと思います。
・「天皇陛下ご即位二十年に際し」(宮内庁)
陛下は、「日本の将来に何かご心配をお持ちでしょうか」という問い(問3)に対して、『心配なのは,次第に過去の歴史が忘れられていくのではないかということ』とお答えになっています。過去に戦争に至った歴史が風化することへの懸念を示し、平和への思いを強調されています。