博士号を取ることの意味

 以前に私に、博士課程で果たすべき研究は、何か一つのことに対象を絞って、そこを深く掘り下げていくべきものだと“忠告”してくれる人がいました。たしかに私は浮気性なのか、一つのことに没頭していてもすぐに周りのいろいろなことが気になってしまうので、広く浅い知識だけを得て終わることのないように、気をつけなくてはいけないと思っていました。

 しかし、ある先生から頂いたお言葉は目から鱗でした。私たちは本当に、“一つのこと”を対象とした研究だけをすればいいのでしょうか? 先生のお言葉は、そうではないことを示してくれました。

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 博士号とは、何か。

 私たちが頂くであろう学位は、Ph.D.と略されます。ラテン語のPhilosophiae Doctor、英語ではDoctor of Philosophyの略語です。これが、一般に理論系の学術の研究を行う者に与えられます。

 Philosiphyとは、哲学。Ph.D.とは、言ってみれば、哲学博士。持つべきは、それに相応しい「考える力」ではないかと。
 だから、自分の中で様々な知見をつなげて考えることができれば良いし、それをまとめ切ることが重要なんじゃないか、というお言葉を先生から昨日頂きました。

 言うまでもなく、広い知見を持つことは重要です。ただ、それよりも一つのことを対象として、深く掘り下げていくことこそが、研究に携わる上でとても重要だと考える人もいると思います。広さと深さは、逆相関してしまうこともあるでしょう。

 しかし、誰が見ても「何か一つのこと」をやっていればいいわけではないのだと思います。一見浅くて広い知見でも、それを深い知見とするのは自分次第だと気づきました。それができる者に与えられるものが、博士号(Ph.D.)なのではないでしょうか。

 もちろん、現在は哲学が人文科学の一分野とされている以上、私が専門としているのは哲学ではないのですが。

 ・・・こんなことを考えるとき、また読みたくなるのが、スティーブ・ジョブス氏のスタンフォードでのスピーチ。邦訳は、ブログ徒然草で紹介されています。


※ 以来、これについては再考を重ねてきました。
 博士号を取ることの意味(2)(2009年9月)

参考:
 Ph.D.(Wikipedia)
 博士(Wikipedia)
 自分の意志を大切にするヒント(2008年8月)

 

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