「視野が狭く、応用が利かず、基礎知識も欠如している博士」
1990年以降に進められた「大学院重点化」により大学院生が増えた一方で、自分の研究分野・専門分野だけに知識が偏り、応用力に欠けた博士が増えてしまいました。それは、冒頭に挙げたような人が増えることになり、その結果、博士全体にこのような評価が下されてしまうこともあります。
結果として、博士の就職難といったことも起こっています。それ以来、日本の博士号はこのままで良いのだろうか、という議論が多くの場でなされています。私も以前に、このタイトルでエントリを書きました。
それ以来、この課題について何度となく再考してきました。その結果、やはり博士課程で果たすべき研究は、決して「何か一つのことに対象を絞り、そこを深く掘り下げるのが大事」というわけではないという結論を私は持ちました。
それよりも大事なことは、たくさんあります。特に大切なことは、物事が順調に進まなくなる危険性をどれだけ回避できるか、ということであり、それをできる人が自立した者(研究者)として学位を持つべきだと思うのです。
次に書く言葉は、学位をまだ持っていない私には、本当はまだ言ってはいけないものだと思います。しかし、あえて書いておこうと思います。
+++
学内外で、様々な人に会ってきた結果です。
私は実際に、質の伴わない「博士」を何人も見てきました。
…と。
研究の実を考えず、楽なものにしか手をつけない者。
自身のキャリアについて考えられず、研究活動に必要なはずの進歩を得られない者。
そもそも研究に必要な考察ができない者。
研究を順調に進められるか否かは、運がある程度以上に左右されるのも現実です。しかし、
「予定しているものがすべてうまくいかなかった場合に、その次の一手はどう打つか。」
これを考えることで、物事が順調に進まなくなる危険性はある程度防ぐことができます。そして、その力こそが、学位を取ることの必要条件だと思うのです。(そして、これは博士号取得に限った話ではないとも思っています。)
直近に予定しているものがすべてうまくいかなかったら。それでも自分は、有効な次の一手を持ち続けることができますか? そこに、光を当てる覚悟もできますか?
この問いにポジティブな答えを返すためには、相当の知識や、ともすると経験も必要になるでしょう。そして、その必要な知識や経験は、人によって大きく異なることでしょう。しかし、この知識や経験を持つことが、学位を取ることの最低必要条件ではないかと、私は今そう考えています。
博士をすでに持っている方、
これから取ろうとしている方、
その道に関心を持っている方。
皆さんの考えはいかがでしょうか。