琵琶湖南岸の小高い史跡(八幡山、安土城跡)

 2021年の11月、大垣〜関ヶ原の次に寄ったのは近江八幡にある八幡山城跡。水田の広がる滋賀の琵琶湖南岸は新幹線でよく通るものの、その中にロープウェイのある城跡の山があったなんて知りませんでしたよ。

 その城跡には今は寺院が残っており、その名前は “村雲御所” 瑞龍寺。城があったのは1585年から95年までのわずか10年間でしたが、秀吉の時代に甥の秀次の居城として築かれたために、広大な敷地とは言わないまでも造りに壮大を感じさせられます。


 八幡山から数km離れた小山(奥に見える池の先にある小さい山)にあったのは、織田信長安土城。それが本能寺の変後に焼き落とされた後に、それに変わる城として八幡山城は築かれました。安土城の山以上に急峻であったために、居館は麓の城下に並んだそうです。当時の町を偲ばせる区画を残す城下から、急な山の上へはロープウェイで。


 「雲の間」を飾っていた、木村英輝さんの四季屏風に、周りでくつろぐ猫が印象に残っています。先月、2年ぶりの2023年秋にはまたここに行き、安土城跡の方を登ってきました。


 行く先にあったはずの天主(天守)をはじめその周りは、本能寺の変直後に明智軍が焼き落としたという話が残っています。というわけで、足元に黒っぽいものを見るたびにドキッとしてしまったり。


 独創的な八角形の天主跡は、焼失後350年以上手つかずでしたが、忘れられた1940年に堆積土の下から当時の礎石がそのまま再発見されたとか。当時の城下町が見る影もない中で、幻の話を聞いているかのような気分にもなってしまう場所です。


 なお、安土城のあった当時はすぐ下まで琵琶湖の水が来ていたとのこと。今は水田が広がっているところが、当時は琵琶湖の水運が活用されていたということを想像するのも面白い場所です。

 城跡入り口の隣には資料館「城なび館」があります。今回も、展示をジッと見て回る小学生に、資料館の人が丁寧に説明をしてくれて勉強になりました。現地で学ぶにはやはり、興味と予備知識が大切ですね。


 正面の登り道をふり返ると見える景色。城下の町も残っていない安土城跡は今、鉄道駅からはやや離れた位置にあります。先日ここに来たときは近江八幡でレンタカーを借り、この城跡を登ってから米原でレンタカーを返し、新幹線で帰る旅程が便利でした。県内なので乗り捨て料金がかからず、平野しか走らないのでガソリンも 1 L ほどしか使わずに回れました。

 そんな琵琶湖の周りには、戦国時代ゆかりの小さな城跡がまだまだあるので、また行くことになりそうです。ただし、北東側は山が険しい上に冬は積雪も少なくない地域なので、そこに注意してまた来たいと思います。