四国アンパンマン列車からの大洲、松山と愛媛旅

 丸亀からは、4歳の人たっての希望で乗りましたアンパンマン特急「いしづち」。


 心明るくなる色合いの車内で、高知行きの線路(土讃線)を分ける「多度津」、香川西端の「観音寺」と停まって愛媛に入りました。


 愛媛で初めに停まるのは東端の「川之江」。旧国名でも伊予の東端で、四国の他の三国との争いの場になったために多数の砦が周りにあったらしく、列車からも1つ城跡が見えました。四国の地理も歴史と合わせて知ると、もっと面白そうでまた来ないといけないなぁと思ったり。
 今回は今治でも降りずに西に向かいましたが、ここから瀬戸内海の島をつないだまたしまなみ海道を渡って、かつての村上海賊や能島水軍の歴史なんかもを探しに来たい所です。

 今回は丸亀から「いしづち」で松山まで踏破した後は、特急「宇和海」に乗り継いで伊予大洲に行き、


 現存天守の残る大洲城まで足を伸ばしました。外観の豪奢な天守は破風が多く、三角のものを千鳥破風、上が丸みを帯びているのが唐破風というのだそう。よく見ると、中間層に見える屋根のように見える装飾もすべてが三角形ではないんですね。


 上から見た肱川が良い眺望でした。

 

+++

 大洲から夕方のうちにまた「宇和海」(アンパンマン)で松山に戻って、日を明かしてから松山散策へ。


 城下に路面電車が走る景色も、熊本を思い出させます。


 この市役所前や県庁の方から北に入ると、すぐに着くのが二の丸庭園。


 ・・・の中にある大きな井戸の跡。


 松山城天守は本丸に。そこは、庭園(かつては武家屋敷)のある二の丸から100mの標高差の上がった所にあり。この二の丸と本丸の標高差は、松山が日本一らしいです。そんな日本一もあるんですね。


 登った本丸。小高い丘の上なのに広々とした敷地(大手虎口から天守に至る広場)がすごみを感じさせる場所。現代にできてしまったロープウェイでなく、当時の人も往来したという二の丸からの急坂を登り降りしていくのがオススメです。

 


 松山城下の南側に広がる街。この山が高いので堀が周りを一周しておらず、水堀は二の丸のある南西の端だけを、欠けた正方形で囲うようにだけある形が地図で見ても面白く見えます。


 松山城の丘から、路面電車でもう少し東に行くと着く湯築城跡にも立ち寄りました。そこは道後温泉の目の前。

 


 ですがその温泉街には目もくれず、うちの小さい人たちは復元された武家屋敷や当時の建築のしくみを示す工作(パズル)に興じていました。

 松山を回ったのが9月最後の日曜日で、ここから坊っちゃん列車とすれ違ったり、ポンジュースのグミを食べたりしながら飛行機での帰路につきました。この日の昼間は30℃近くで陽射しも暑く、4歳の人がかき氷まで食べていたのですが、その10日後には東京の気温が10℃近くにまで下がってしまって驚いたところです。


 秋はどこに行こうかなぁ。

 PS. 数日経ってから、10歳の人が「道後温泉も見てみたいなぁ」って・・・おい! すぐ近くを歩いていて帰りの路面電車道後温泉駅から乗ったくらいなのに!