文部科学省は3日、2011年度から小学5、6年で必修化される小学校の英語活動の概要を発表した。同省作成の教材「英語ノート」(試作版)で計285の単語と、中学1年レベルの50の表現を教え、6年生終了時点で英語を使って遊んだり、自己紹介できたりすることを目指す。
文法や単語の書き取りは教えない。英語を教えた経験のない教師にも配慮し、ヒアリング用CDや「スピーチ指導」のポイントなどを解説した指導資料も導入する。
(以上、下のリンク先の記事より引用。)
文部科学省は、小学校の英語活動の概要を発表
小学英語「苦手な子も興味」遊び感覚でまず慣れる
(2008年4月4日、読売新聞)
読売新聞の紙面では、4月4日の朝刊1面のトップの見出しで、「小6、英語で夢語る」とありました。何のこっちゃと思って記事をひと通り読みましたが、いろいろと考えさせられました。一番気になったのは、2つ目のリンク先の記事の最後の部分。教育課程課の方の、この言葉です。
「6年生になれば得意な子と苦手な子が出てくるかもしれないが、遊びを取り入れれば苦手な子供も興味を失わないはず。」
どう思いますか? ====
私は、小学校で英語を教えるか否かといった部分には、特に意見を持っていません。本当に必要になる人は、それを感じてから本気で勉強すれば間に合うでしょう(私は、そろそろ本気にならないとマズイのですが・・・)。小学校でできるだけ多くのものに触れるといった意味では、英語に触れさせておくのも良いと思います。私の意見は、それだけです。
ただ、「~れば(みんな)興味を失わないはず。」といったニュアンスを含んだ上の言葉には、大きな疑問を抱きます。人はそれぞれ、得手不得手があります。興味のあること、持てないことも人それぞれ違うはずです。教える側が何をしたって、ある物にある人は興味を示さない人が出てくる。それは避けられないと思います。
上の言葉が、どういう事情を想定して発せられた言葉かは私には分かりません。しかし、少なくともそういう認識がないと、教育の現場でちょっとでもうまくいかないことがあったときなんかに、「教える側」、この場合、先生や教育委員会、文科省なんかの人の考えがすぐにブレてしまうのだと思います。子どもは皆、違う性格、違う関心を持っています。ある子どもの持つ性質は、他のどの子どものものとも違いますし、もちろん、教育を考えるどの大人のものとも違うのです。そこをしっかりと認識していないと、教育がうまくいくことはあり得ないと思います。
大人の集団(学校やそれを統轄する組織)の考えにも、多少のブレがあるのは仕方ありません。しかしそれでも、「いま」まさに成長している子どもがいるということだけは、忘れられては困ります。そして残念ながら、その辺りの認識が十分にされているとは、私には思えません。そこを認識してほしい。この記事を通して、私が書きたかったことは以上です。
ついでに、もう一つ付け加えたいことがあります。それは、小学校までの初等教育機関は、子どもにいろいろな種類の「チャンスを与える」所であれば良いということです。そこでは別に、何かを完璧に教える必要はないと思います。子どもは、チャンスさえあれば興味を持ったことは自分自身で調べ上げるようになるでしょう。だから、小学校は子どもに、「世の中にはこんなもの・こともあるよ」ということと、あとは知っておかないと将来困るような基本的な知識・マナーを教えられれば十分だと思います。そういう意味では、今回挙げた「小学校で英語必修」の考えに私は賛成しています。この辺りの考えも、人それぞれあるでしょうから、私が「これが絶対良い」と断言できるものではありませんが。
あと、当然ですが、子どもに教えたいことは学校任せでは絶対にいけません。「学校での教育が不十分だから・・・」などと不平を言う親が世の中にはいると聞きますが、そのような場合の多くにおいて、足りないのはその親の考えと行動であり、親による教育であると思います。子どもにしっかり身に付けてほしいことは、まず親自身が、それについてしっかりと勉強しなくてはいけません。
例えば、子どもに思いやりのある人間になってほしかったら。まず親が思いやりのことをしっかり知って、言葉や態度で伝えられるようでなければ、子どもが思いやりのある人間に成長するはずはありませんよね?
もうすぐ、一人暮らしの家に電子ピアノを買おうと思っています。私は3歳の頃から約10年間ピアノを弾いていた経験があるものの、その後10年以上はほとんど弾いていませんが、今のうちに指を少しでも戻しておきたいと思うからです。本当は電子式のものでない方がいいのですが、さすがにそれは無理です。ただ将来は、子どものそばに、ピアノと音楽を置いておいてあげたいと思います。子どもがそれに興味を持つかどうかは分かりませんが、できれば、バイエルくらいは教えてあげたいと思っています。