先月読んだこの記事。
これが面白くてこの本を買って、一気に読みました。
2000年前後生まれの人と2010年代生まれの人との間にも、タブレットなどデジタルメディアとの距離感の違いは当然あります。その世代間の違いが絶対的に存在する社会で、先の世代の人はどう振る舞い何を示すべきか。高速の計算機が示す結果をどう見て、何を目的にしてどう使うのか。
複雑に絡み合う先の手筋を読む将棋は、これを考える良い題材になっているのだろうと思います。
その将棋での活躍でいま一番注目されているのは、今月でデビューから丸5年になる藤井聡太三冠(肩書は2021年10月8日現在)。藤井三冠は、「将棋の手筋を読むときに、頭の中の盤面で一つ一つの手を動かすわけではない」ことをはっきりと言っていて、
この言葉は、プロ棋士の中でも特異な感覚と受け取られているそうです。
将棋の素人はやはり、頭の中で描いた盤面で手を一つ一つ動かすことで考えてしまうわけで、なので莫大な量の手筋の先を正確に深く想定する(読む)ことができないわけですが。ではどうやって藤井三冠が先の局面を想定し、手を読んでいるのかというのがとても気になります。
が、藤井さんとしては意識して頭から盤面を消したわけでなく、元々盤面なしで局面を想定し手筋を読んでいたので、その方法の特別さをあえて言葉で表すのは容易でないのでしょう。
しかしこの本には、手筋を読むときに藤井三冠が頭の中でしている思考の一部が語られている言葉も書かれていました。ほんの短い一節でしたが、私はそれを読みたかった!
- 「読みが合ってさえいれば、イメージが明確である必要はない」
- 「ある程度きりのいいところで、そういう局面がまたはっきりと浮かんで、そこで形成判断をする」
って。(丹羽宇一郎・藤井聡太『考えて、考えて、考える』pp,125-126(講談社、2021)
おっしゃることは分かるのですが、しかしそれをできるのかというと。そして、他の一部のプロ棋士の反応を見聞きする限り、それがトレーニングをすればできるのかということも・・・分かりません。
藤井聡太さん自身の言葉をたくさん読みたい人には(それでも、本書の中の半分以下にはなってしまっていますが)嬉しい一冊だと思います。