シンポジウム「幼少児健康教育のこれからを考える」@日体大世田谷キャンパス(2017.3.5)

 先週末の出張で伺った先は、日本体育大学の世田谷キャンパス。日体大には学生時代、陸上競技用トラックのある健志台にはよく行きましたが、世田谷の方には初めて行く機会でした。


 桜新町の駅から地上に出ると、迎えてくれる「サザエさん一家」。

 日体大では日本幼少児健康教育学会のシンポジウム「幼少児健康教育のこれからを考える」で、「基礎研究から」の立場の者として一席ぶってきました。
 後日追記: 講演スライドを公開しました。⇒「次世代の健康、次世代のための科学」(2017.3.5@日本幼少児健康教育学会、日体大・世田谷)

 この学会の参加者のほとんどは、教育や保育の「現場」で実践研究に取り組む人たちでした。参加者たちと私とは「子どもの健康教育」という目的を共有しつつも、私以外はほぼ皆さん現場で子どもたち自身に向き合う人たちばかり。自然科学の研究者である私とは、普段の仕事や研究対象に違いがあります。
 そんな場所での講演で何を話すかは前日まで悩みましたが、当日はこの3点を写真や図を交えて話してきました。

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 ①研究の本質が、分野は違っても見えないもの・まだ見えていないものを「見える化」することだってことに違いがない。
 ②見えないものを「見える化」してきた科学の蓄積が、いま私たちの健康に多々貢献してる。
 ③何か促したい・もしくは避けたい事象があったときに、その原因を知りたかったら先入観を持たず&怖がらずにたくさんデータを取ろう。 
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 ③でいう「原因」つまり因果関係は、先入観があったりデータが足りてなかったりすると本当に簡単に見逃されますよね、と思います。簡単に見えそうな事例で示すと、



 例えば午前中に集中力のない(=B) 子がいたときに、ある人はその原因が「朝起きるのが遅いからだー!(=A)」って言うかもしれませんが、



 実はその原因は遅い起床時間でなく、起きるのが遅いことによって「朝好きなことに頭や体を使う時間がなかったり(=X)」「朝食が不規則だったり(=Y)」ことかもしれません。もしそうだとすると、ただ朝起きる時間を早めたところでその子の集中力は改善しないことになります。

 それに、誰にでも分かるもう一つの当然のことは、睡眠はそれ自体が大切だということ。なので、


 うっかりその子の起床時間だけを早めようとして夜の過ごし方(=Q) をケアしなかったら、睡眠不足になってその子の生活自体が破綻してしまうかもしれません。
 しかも、この子の就寝時間が遅いのは朝好きなことをできていない分、それを夕方過ぎにやりたいと思うからという理由があるから(=P) なのかもしれない。なので、本気でこの子の「午前中の作業力・集中力」(=B) を改善しようと思ったら、各要因の一つにフォーカスするのでなく全体を変えることを考えなければいけないのかもしれない。もしくは、逆に一つの根本原因が見えていないのはまだすべてを「観察していないから」であって、観察項目を増やすことで少数かつ対応可能な根本原因が見つかるかもしれない。

 ということがあるだろうと思うのです。で、この例ですと多くの人が「だよね」、「たしかにね」と納得できるかもしれませんが、実際に研究はもっと「簡単には分からないこと」に対して、何とか分からないだろうかと向き合うものです。そのために、目の前に現れる事象ももっと複雑である場合が少なくありません。
 そうなると、本当はある事象の原因でないことがまるで原因かのように見えてしまったり、逆に原因らしきものがまったく見えづらかったりする。原因を検証する前からAとB、そしてXとYあたりばかりに意識が取られてしまっていると、そもそも周りを観察できずに本当の原因までいつまでたっても辿り着けない、ということが往々にして起こり得るのです。

 でも逆に、大きな発見は意外なところから生まれることが常だとすると、「なんでこれ解決できないんだろう」「なんでうまくいかないんだろう」と思うことを改善してくれるチャンスがあるとしたら、とにかく先入観を排してその対象をいろいろな面から見る雰囲気なんだろうとも思うのです。
 私たちを数多くの感染症から救ってくれる元となった抗生物質の発見は、細菌の培養皿にアオカビの胞子がたまたま落ちた(コンタミした!)ものが、あとでちゃんと観察されたからだという例もあるくらいですから。

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 ①の「研究の本質は「見える化」だという話題については、何か「見えない」ものがあるというのはそういえば、それは「私たちの目では」見えないという意味を含むことに、資料を準備しながら改めて気がつきました。なので、その目に見えない光を使うだけで、色々と新しい発見がありそうなんじゃないかということも。目に見えないけど使える光というのは例えば、うちの研究室で言えば赤外線です。
 ただし、目で見えない光を撮るカメラは使っている人が少ないために、まだ性能が良くないという事実があります。なのでそういうマニアックな(?)カメラをもっと多くの人が使うようになることで、この点が改善されてほしいと思うところでもあります。もちろん、性能がよくなれば使ってくれる人も現れないということで、私のような立場の人には「こんな新しいカメラ(検出器)が使えそう」という例を示していく使命もあるわけですが。


 こちらも桜新町駅前。

 話はズレましたが、子どもたちの成長する教育や保育の現場では、心ある多くの人たちが子どもの将来や次世代の健康に強く想いを馳せつつ仕事をしています。一方で、心ある人ほど子どもたちに「何を」「どう」伝えるべきかと日々試行錯誤しながら向き合っているのも事実です。その「何を」伝えるかが「なぜ」大切なのかということを、基礎研究の立場からは少しでも具体的かつ客観的な事実を多く蓄積することに貢献できるよう、「現場」の人たちとこれからも一緒に仕事をしていきたいと改めて感じたシンポジウムでした。

 シンポジウムで話した感じも手応えがあり、実践研究の人たちがもっとデータを大切にしたい、色々データをとって検証して子どもたちのためになる研究をしたい、という熱が伝わってきました。もし私に次の機会があれば、そのときまでには今回も話をさせてもらったこの部分を、より深く掘り下げて話せるようになりたいと思います。
 生活習慣や環境と何かとの因果関係を知りたかったから先入観を排して、怖がらずにたくさんデータを取ろう!