今週は「周産期医学」と向き合います

 私は今週、周産期医学に浸かる1週間を過ごします。フランス・パリで開かれる第23回欧州周産期医学会議に参加し、学生と研究発表をしてきます。

 私は、これまでにもここに書いてきたように「子どもの健康」や「それを脅かす出生前後の環境要因」に強い関心を持っています。

「疾病の発生学的起源説」概説(2009年12月8日)
タバコの出生前(胎児期)曝露と子どもの健康(2009年12月30日)
子どもの病気と健康管理(2012年6月4日)

 「周産期」とは、この出産・出生の前後、つまり妊娠・胎児期から新生児期を指す言葉です。この時期の母子を対象とする医学=周産期医学は、他と比べても取り組むのに大変な分野だと思います。

 それは、周産期が他の時期と比べて「元気な(と思われていた)人が突然死亡したり、後遺症の残る障害を負ったりしやすい」時期であるからです。現在の医学では、周産期の児の死亡や障害が起こる例を前にしても、その原因が分からず、現在の技術でそれを防ぐこともできないという例が少なからず存在します。
 それだけ、「子どもを産むことは大変なこと」でもあるのですが。

 一方で、近代の医学の進歩は新生児の死亡率を著しく下げました。この事実が、“母子共に健康”で出産をできなかった人を苦しめる場面もあるだろうと思われます。その原因が、親の過失でないどころか“誰にも原因が分からない”場合も多くあるにも関わらず、出産を順調にできなかったときの家族の心理的負担は察するに余りあります。

 医学が発展すれば、このような場面に遭い苦しむ人を「少なくする」ことができるでしょう。それはとても有意義なことだと思います。
 しかし、一方で当事者一人一人が「その場面に遭う人の数」や「そうなる確率」が減れば救われるとは限りません。当事者個人にしてみれば、ある望まない事象を負うかどうかは“全体の中で起こる可能性”すなわち確率ではなく、“自身がその事象に遭うか否か”の0か1かの問題になる(人が多いであろう)からです。
 もちろん、個々の0/1のすべてに社会や学問が対応することは、ほぼ無理であるのかもしれません。しかし、技術や人の常識を変えていくことで、この個々の“0か1か”にもっと対応することはできると私は考えています。

 いえ、正確には、これに応えるための仕事をこそ私はしたいと思っています。

 今週は、周産期医学を主要な一分野として、いつも以上にこの課題と真摯に向き合いたいと思います。