冬の研究室旅行は越後湯沢~十日町へ

 今年も学生たちが学位審査を終えたところで、私自身にとっては初めての「冬の研究室旅行」に1泊、越後湯沢へ行ってきました。
 学位審査を終えたのは学生たちであって、私自身は改めてここからが仕事のしどころですが。そして、研究室の教授がスキーを好まれるのに、ご自身は会議が入ってしまい宴会にだけいらして下さり涙ながらに帰られてしまいましたが。

 そして私自身はスキーをしないのですが(山は走るところ)、スキー旅行に足を運んだことで雪深い景色を見られて感激しました。

 大宮を出るとすぐ右側に、日光男体山から西に雪を被った山が連なって見え、熊谷を過ぎると遠くに本格的な雪山が視界に入ってきます。現地集合までの旅程で私は、群馬県から新潟県へ鈍行で入って景色を楽しみたいと思い、高崎駅で新幹線を降りました。
 高崎は東西南北からの道が交わる交通の要衝。南へはここから小田原や熱海まで、ほとんどの鈍行が直通するようになりました(2015年3月~)。私はここから逆の北へ。





 高崎から25分ほどで、利根川沿いの関東平野の北西の端・渋川を過ぎると、勾配がいよいよ急になり始め線路脇の日向にも雪が見えるようになります。そして谷川岳手前の水上でこの景色。





 水上から乗り換えた長岡行きの電車は、山間でくねる利根川を渡りながら、まっすぐの清水トンネルに入りました。ここは古くからの幹線路線らしく複線が続きますが、坂で碓井峠を越えられた長野経由(信越線、1893年~)より開業は38年遅い1931年。三国峠を抜けるのはそれだけ大変だったということでしょう。

 しかし、水上の雪はまだ序の口でした。湯沢に着いたあと南魚沼の隣駅・石打まで、翌朝にも魚野川沿いを走りに行って見た雪はもっと深いものでした。




 こんな景色を大切にしたいものですが、ここも新幹線が通るのが20、30年遅かったら、在来線は今と違った状態になっていたのでしょうか。


 貨物列車の主要幹線だという理由だけでは安泰ではないはず。


 石打駅前には、この上越線開業に尽力した岡村貢氏の碑がありました。石標は雪に埋まっていましたが。

 学生たちがほとんど皆スキーをしている間には、スキー以上に雪を楽しもうと "豪雪地帯" 十日町に足を伸ばしました。







 この景色に心躍らせてしまい、普段雪で大変な人たちには少し申し訳なくも思いました。でも、楽しかったです。

2年ぶりの研究室旅行も山梨へ(2016年8月)