社会の中で生きていれば、困り果てること、それは違うだろって思うことも少なくないけれど、そうやって容易も困難も色々あり続けるのが社会なんだってことは違いないと思う。
何をどう変えたらいい、変えるべきと多数が言って(くれて)いるように見えたって、すぐに変わらないものは変わらない。ある全体を良くするには…と誰がいくら言っても、何を全体と見るかだって全然違う人もいる。
それは仕方がない。自らの周りの権益だけが、考慮すべき全体だと思う人もいる。それが社会なんだってことも違いない。いや、自分に見えてる全体だって、所詮は自分に見えてる範囲だけ。
でも、だからと言って絶望する必要は何一つとしてないんだよね。理想を描くのは勝手だけれど、失望するのもまた勝手。
亀の甲より年の功っていう、「だから何?」の骨頂とも言える言い回しがある。けど、その功がどんなに “アホ” に見えても、そう見えるのならなおさら、自分だけはそうならないと心を決めること。
そう思ってるのは間違いないと、10年前の自分に伝えたいし、10年後の我が子にも伝えたい。たぶん、10年後の自分にも伝えた方がいい。それに決して「自分だけ」じゃない。類が友を呼ぶんだ。
などということを思っていたら、尊敬する先生の一人からのご連絡。「困っちゃうな~」と電話で話したのはつい数時間前、手元で解決できない問題は今は抜き。ガチで仕事の次の話。
いや、そのスピード、天才です。
そう、いつでも大切なのは次の一歩、次の一手。そして自分の次のアイディア。それだけは、どんなときでも例外ない。つまらない障害に、その次を見失わないこと。輝いて見える成功ですら、次の一手がなければ何にもならないんだし。困惑を、この数時間で断ち切らせてくれるそのご連絡に感謝したい。
明日また、今日できなかったことをやろう。
次の一手があると思えることに感謝します。
がんばりますよー。