緊張しても、うまくやる―プレゼンの極意

 最近、大学内での新たな研究計画提案のヒアリングで、1つ “勝負” のプレゼンテーションをする機会をいただきました。

 ある程度以上の規模の研究は、いろいろな人の理解をいただかなくてはいけません。そうしないと、その研究を行うこともできなければ、課題解決を実現することもできません。だから。
 だから、だから・・・ こんなことをしっかりと明示できることが、とても大切になります。

 ①何を目標にしたプロジェクトなのか
 ②乗り越えたい課題は何なのか
 ③それが乗り越えられると、どんな良いことがあるのか(先行研究や既存技術との比較も、ここに含まれる)
 ④それを、なぜ自身(らの研究体制)で実現できるのか


 今回の私のプレゼン、このポイントは押さえられました。準備に際して、基礎工学部の曽我公平先生には懇切丁寧にご指導いただきました。感謝感謝です。
 それでも、緊張しましたが。

 え、準備をちゃんとできれば緊張しないはずだって?
 これまでいろいろなプレゼンを経験できていたら、もう慣れてきてるでしょって?

 ・・・そうとは限りません。少なくとも私には、たぶんもう「緊張しない」のは無理です。毎回、機会をいただくたびにそう感じます。

 でも、勝負のポイントはいかに緊張しないか、ではないんですよね。
 緊張しても、いかにしっかりこなすか。十二分に事前準備ができなくとも、十分にした準備をいかにしっかりと活かすか。(十分に準備をできない、なんて失礼なことはしないこと!)
 いかに、限られた時間で最大の効果を得るか、いかにして十分な準備を得るか。

 そこでの勝負なんです。

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 私はむしろ、学生のとき以上に今の方が、プレゼンのときに緊張を感じます。
 その理由の一つは、私がもう、学ぶだけで許される立場ではないから。加えて、一つのプレゼンや書類がどんなに重要であろうとも、その準備に丸5日かける(とか非生産的な)ようなことが許されないことも原因にあるでしょう。「緊張を避けられるほどにまで徹底的に準備をする」ことは、少なくとも私には不可能です。

 でも、こなすべきものはしっかりこなせないと。

 そう思うと、その気になれば「十二分に準備ができる」修士学生までのうちに、十二分な準備をする経験をしておいたことは無駄じゃなかった、と思います。
 十二分を知らずして、そこから効果的に効率化を図ることなどできるだろうか、と。

 学生は何かを本気で学んだり経験したりするときに、「それを通して自身にどんな力がついているのか」について、もっともっと意識的であってくれるといいな、と思います。

 私も次また、がんばります。