今日は悔しさをぶつけます

 今日は研究室で取材を受けました。私たちの研究内容に関心を持っていただいて、大阪からいらしてくださったとのこと。丁寧な取材がとてもありがたく、感謝するばかりでした。

 上司であるラボの教授から私は、取材の対応の一切を任せていただいたのですが、私だけでは話し切れないものを感じつつ。学生や教授ご自身のご協力も受けながら、取材に応える機会になりました。

 学生にとっては、貴重な経験になっていれば。そして、教授のインタビューでの受け答えは、「そう、そうだよね」と思わずうなずくことばかり。いつも共に議論させて頂いていたことを、きれいにまとめてくださったのは教授でした。

 教授(上司)の研究の出発点や、研究を続けてきた中での葛藤。そして、私たちの研究分野において世界的に何が足りないと思うか、自分たちの研究から何を伝えたいのか、その研究(仕事)はどこに向かっていくのか。

 聞いて、胸にくるものがあった。けど、それは感激したからかというと、(それもなくはないのですが)そうではない。悔しい、という想いで。

 私自身には、あれをまだ断片的にしか話せない。私も以前と比べれば、うまく話せるようになったし、ある部分は自分で作ってこれたという思いもある。けれど、満足できるのは全然そういうレベルではないのだと。そもそも、「取材の対応の一切を任せていただいた私」がそれじゃいかんだろ、と。

 もちろん、教授に追い付きたいなんておこがましいとは分かってる。けど、教授になってから追い付きたい・追い付けばいいとか言ってるようじゃ、それでは進歩がないんです。その程度なら、教授になんて一生ならない方がずっとマシ。

 だから、できるだけ早く越えたいと。そんなことを思って(しかも書いて)しまうのはそもそも失礼だけれど、教授は私のそんな気持ちも分かってくださっている。しかも、そのために十分過ぎるほどのチャンスも頂いている。

 越えればいいのが研究業績だけだったら、きっとどんなに楽だっただろう。でも全然それでは、到底敵わない。そのことを知れただけでも、幸せなことだとは思うけれど。

恩師の教育観エッセー(2013年9月27日)
“遊び” への誘い(2014年2月6日)

 仕事に真摯に向き合う姿勢に、見せつけられる高い壁。これ以上ないという姿勢を、後進に示すことができること。そして、それを越えるためのチャンスを、仕事の端々に仕掛けられること。それこそが、その世界の進歩につながる可能性を秘めている。

 それ以上に素晴らしい仕事を、私は知りません。いつか、それをできるときが自分に来るのか?

 自分なりの形を作るべし、と分かってはいても。越えられない壁を、悔しさだけで今日は表現します。

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 年度替わり。2014年度もうちの研究室にいる皆さんには、「自分が目指すのは何なのか」を、できればもう一度考えてほしいと思います。

 今日は以上。