一流の教師とは

 大村はま著『新編 教えるということ』で紹介されている一節です。著者は、1980年に73歳になるまで教壇に立ち、その後も国語教育の実践と研究を続けた方。その著者が、若い頃に先輩教師から聞いた話として紹介されているものです。

「仏様がある時、道ばたに立っていらっしゃると、一人の男が荷物をいっぱい積んだ車を引いて通りかかった。そこは大変なぬかるみであった。車は、そのぬかるみにはまってしまって、男は懸命に引くけれども、車は動こうともしない。
 (中略)
 その時、仏様は、しばらく男の様子を見ていらしたが、ちょっと指でその車にお触れになった。その瞬間、車はすっとぬかるみから抜けて、からからと男は引いていってしまった。」


 読んでいて、あっと思いました。
 そして、こういうことをできるのが、一流の教師なのだとか。


男は仏様の指の力に与ったことを永遠に知らない。自分が努力して、ついに引き得たという自身と喜びとで、その車を引いていったのだ。」

「もしその仏様の力によってその車がひき抜けたことを男が知ったら、男は仏様にひざまずいて感謝しただろう。けれども、それでは男の一人で生きていく力、生き抜く力は、何分の一かに減っただろうと思う。」
 (フォーサイト 2008年4月号より)

 

+++


 見せかけの優しさとか、楽しければすべて良しとかいうこととは、まったく違う次元の話。真の指導者は、成功の例を見せるのではなく、成功の機会を与えるのでしょう。

 そう思わされました。

 

f:id:umerunner:20190808224043j:plain