ちょっと前に、伊賀泰代さんの『採用基準-地頭より論理的思考力より大切なもの』を読み終えました。
本書で繰り返し強調されているのは、この3点です。
①日本の教育で最も足りていないのは、「リーダーシップ」の養成である、ということ。
②「リーダーシップ」は、トレーニングで誰でも身につけられるものである、ということ。
③「リーダーシップ」はチームのトップだけが持つべきものなんかでは全然なく、それぞれの人が各々の役割を担う上で各々が持つべきものであること。その認識が行きわたるような意識の改革が、リーダーを育て、活かすために必要だということ。
大学という学生の多い現場にいる私ですが、③は本当に改革されるべきだと痛感しながら読みました。そして何が問題って、学生が常にこれを教えられる教員にアクセスできる―― そんな環境がないといけないだろう、と。
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大学院の存在価値は、教員が「世界のトップで勝負する姿」を学生に見せること、勝負するために必要なものを学生に伝えられることであると、私は考えています。
一方で、研究をしっかりとできる人間、世界に通用する研究のアイディアを出せる人間が、必ずしもリーダーシップを教えることの大切さを理解しているわけではありません。言うまでもなく、研究のアイディアを出せることとリーダーシップを発揮できること、もっと言えばそれを伝えられることとは、別の能力であるためです。
それにも関わらず、大学がある意味「研究業績さえあればいられてしまう」性質のある場所であること。それを、私は強く憂いています。
これが、研究者としてやっていくのでさえ、研究ができるだけではアウトだと私が言う理由でもあります。
⇒「研究者としてやっていくのは大変なのか」
⇒「勝負したいことで勝負できる所へ」
リーダーシップを伝え、教えながらそれを実践し、学生のその力を鍛える場所として、大学院は本来とても大きな価値を持つものです。なので、その価値を大きくするために、将来どういうスタッフと仕事をしようか… そんなことを、私は常々考えます。
これを考える上でのヒントを教えてくれる。上に紹介した本は、まさにそんなものでした。
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・リーダーシップは「プロセスをうまく回すためのスキルではなく、答えの質そのものの向上を追求するためのスキル」(『採用基準』p.67)
・過去のリーダーシップ体験で問われるのは、「問題が起こったときにどう対応すべきか、組織を束ねるためにはどのようなコミュニケーションが必要なのか、リーダーにはどの程度のプレッシャーがかかるものなのか。そういったことを実体験として理解しているか」ということ(p.76)
・日本に必要なのは「役職が先でリーダーシップが後」でなく、「必要なリーダーシップをもっていることが証明されて初めて役職に就く」システム(p.99)
・「できるようになる前にやる」(p.154)
・「深刻な問題が発生した時に、生まれて初めてのリーダーシップを発揮するような人は存在しません」(p.207)
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⇒「結局は『やるかどうか』」
学生の、ときに表に出づらくなってしまっているリーダーシップをすくい上げ、それを育てること。それが大学の大きな使命の一つであると信じています。
このテーマ、機会を見つけてまた書いていきたいと思います。