終わり良ければ

 終わり良ければすべて良し。先日、打ち上げの宴で乾杯の一言を求められて、とっさにこの言葉が出ました。

 これ、字面以上に深みのある言葉だと思っています。

 終わり(結果)より、そこまでの過程(プロセス)の方が大事でないの? という声が聞こえてきそうです。
 でも、そうではないんです。終わりが良くて初めて、そこまでの過程を見る意味があるのです。つまり、結果を導くまでにどんな過程を踏めたかは、結果が出たときに初めて見るもの。結果を得るまでの過程が、最後に出た結果を高めるのも、結果が出てこそ初めてあり得ることなのです。

 逆に、失敗から学ぶという言葉もあります。が、実はそれも同じこと。その次に結果を残せて初めて、前の失敗が生かされたかもしれない、という程度のことです。
 もちろん、失敗はしてしまうもの。でも、それにも意味があるというよく聞く言葉には、私は失敗との馴れ合いしか感じません。失敗からは、失敗の原因と悔しさ以外に得るものなんてないんですから。

 終わり良ければすべて良し。

 終わり(結果)抜きに過程を振り返ることは、自己満足にしかなりません。少なくとも、過程だけで自分以外の何かが変わることはないのです。

 ただ、そう考えたときに終わりまでがあまりに遠いと、結果を目指す自分がなかなか手応えを得られません。そこで私は、終わり良ければ…を少し変えたものを大切にしています。

 今が良ければすべて良し。

 そう言うと、それは「そのときそのときの過程」重視なの? と聞かることがありますが、ちょっと違います。
 終わりまで続くであろう道の上に、目の前目の前で必要な結果は何か。それを見定めて、向き合ってクリアしていけること。
 それができればと言う意味で、基本的に私は、

 「今が良ければ、今が楽しければすべて良し」

というスタンスなのです。(というか、今が楽しくなかったらその先が楽しいなんて、私には思えないです…。) そして、その先に見えるものを見たい、と。

+++

 ちなみに、冒頭の乾杯の場面というのは、つい昨日。理科大の薬学科6年生の卒業研究発表の打ち上げでした。
 一つの結果を出した卒研生が、卒業した先でまた次の“終わり”に向けて、そこまでの道を楽しんでくれることを願うばかりです。

 おつかれさんでした。