恩師の教育観エッセー

 我らが東京理科大学の『科学フォーラム』2013年10月号の巻頭に、私の恩師のエッセーが掲載されました。先生は今の上司でもありますが、私の大学院時代の指導教授でもあり、今日はあえて「恩師」と書かせていただきます。

 武田健『手抜き教授の告白』(理大科学フォーラム 2013年10月号、pp.2-3)

 ご本人が“手抜き”と表したその内容。それは、いかに限られた時間とチャンスで、学生の力を最大限に伸ばすかを考えられてきた、教授の教育観そのものです。私がこの教育観に出会うことなく、お世話になることもなかったら、今は何をしていただろうと想像のつかなくなってしまうものでもあります。
 自らの “知ると知らざる” を認識し、その上でどこまで挑戦できるか。そんなことも考えさせられます。

 実は2ヶ月半前、恩師がこれを入稿する直前に、恐縮ながら私は原稿チェックを依頼されていました。「自信はありませんが、宜しく」と。
 これほど深い人生観・教育観を、私は読んだことがありませんでした。その稿に筆(コメント)を入れることは、とてもできないと思ったことを記憶しています。(恐縮ながら、ある部分に一節を加える工夫をしていただけると、より良くメッセージがまとまるのではないかというお返事をさせて頂きました。)

 これまでにも、恩師が過去に考えられてきたことは、断片的に何度か伺ったことがありました。今回のエッセーで、そのいくつかが綺麗につながったような気がします。

 「明日を夢見るものは花を育てよ。10年後を夢見る者は木を育てよ。30年後を夢見る者は・・・・・・」

 武田先生を少しでも知る方には、是非読んでみてもらいたいです。(よろしければご一報ください。)

教授が教えてくれること(2012年1月)