記事紹介:独創性を高める教育をめざして

私は、学校のテスト(試験)が大嫌いでした。
評価はテストでされるのは仕方ないと思いつつも、
学生であった間、その制度にずっと
違和感は覚え続けていました。

その違和感に対して、今日読んだ記事は、
あぁ、そうだったのかと思わせるものでした。


岩波「科学」80(5): 529-531(2010年5月)
『独創性を高める教育をめざして』(大野公一氏)
~特集「理科教育のグランドデザイン」より~

「日本の学校教育や受験勉強では、
 解けない問題との遭遇を極力減らすため、
 知識や公式的な技法の習得に重点がおかれている。」

「そこでいう(学生が取り組む)問題」とは、
「範囲が限定されて出題される」ものである。

その結果、
「受験問題の解答力はついても、
 社会や研究の現場での問題解決力は、
 あまりついてはいないということになりがち」
である。


知識や公式的な技法の習得は、
間違いなく必要なことです。
これに重点が置かれることは、
決して悪いことではありません。

しかし、習得するのはそれだけでは
十分ではありません。
では、いったい何が不足しているのでしょうか。


その答えは、理科教育の目標を
どこに置くかによっても変わるものです。
そのため、この問いに対する答えは
決して一つではありません。
冒頭に紹介した記事は、これに併せて
これを実行することも容易ではないと
断りつつ、教育現場において現状以上に
この問いが意識されることを
学校教育に求めています。

詳細は、紹介した記事を是非ご覧ください。


ここでいう考える力とは、
“わからないことがあったときにどうするか”
を選ぶ力です。
ここで、個人の問題解決方法を分類すると、
次のようになると記事は述べています。

(1)他の誰かに聞いてみる
(2)書物などを調べてみる
(3)自分一人でやってみる
(4)自分一人で考えてみる

どの方法が有効になるかは、
何を解決するかにより大きく異なります。
しかし、このどれに注目するにしても、
これらを鍛えられる機会は
十分ではないように思われます。

誤解を招かないよう付記しておきますが、
解けない問題との遭遇を極力減らすための、
知識のいわゆる“詰め込み”も重要です。
知識を多く持っておくということは、
(1)と(2)を事前に行うことです。
これができているほど、いざというときに
(3)や(4)を行うことのみによって
問題を解決できる割合が大きくなるのです。

つまり、知識を詰め込んだ上で、
または詰め込みながら、それを
どのように使うべきか、使うことができるかを
考える機会が、十分にあるべきだと思うのです。


そのようなことを考えた上で、学校教育を
(1)~(4)の力を付ける機会とするためには
どうすれば良いか。

私は教育について十分に学んではいないので、
その答えの例は、紹介した記事に譲りたいと思います。
しかし、私にとっては長年の違和感の原因を
説明してくれる記事であったため、
ここに記録をしたいと思い、紹介させて頂きました。

今日はこれから、「考える」打ち合わせ、
勉強会に行ってきます。