もし自分が生まれていなかったら

 まだ私が小学生くらいのことだったでしょうか。だいぶ以前、こんなことをふと考えることが何度もありました。

 もし自分が生まれていなかったら、今この時間はどんな風に流れていくのかな、と。

 答えはいつも簡単だったんですけどね。生まれてもこなかったら、はじめから「ない」だけ。まったく同じように、いま自分がいる場所でさえ、時間は止まることなく流れていったはずだよね、と。

 こんなことを言うと、しかめっ面で返してくる人もいそうだけど、それは事実、であるはずです。
 いま私が何とかしている(つもりの)ことも、誰かがうまく何とかやっていたかもしれない。もしくは、そんな「こと」(仕事)がなくても、何とかうまく回っていたかもしれない。Better/worseということはあっても、それで何か大きなものが潰れたり、他の何かがなくなったりすることはなかった、はず。

 た だ し 、

 もうその時点で「もし自分が生まれていなかったら」「生まれてもこなかったら」の仮定は成り立っていないんですよね。だから、どうせ考えるなら「自分がそのときそこにいたら、その場の空気はどんな風に流れていくのかな」と考えたい、と思う。と思ったのは、いつのことだっただろうか。

 ただし、のもう二つ目。当時の私は、自分が生まれていなかったら、でなく「生まれてこなかったら」という問いを持つことができませんでした。そんなことが、あり得ると想像ができなかった。最近は、そんなこともあり得ると知ってはいた(つもりだった)けれど。
 この動画を見て、頭をガツーンと殴られたような気がしました。まだ私は分かっていないと。ある人が、「この(自分の)子が将来どういう人生を歩むのかわからない」と本気で不安を抱いたときのことを。

もしも胎児がダウン症だと分かったら? 未来の母親へダウン症の子どもたちからのメッセージ
(2014年4月26日、Buzz News)
 Sometimes it will be difficult. Very difficult. Almost impossible. But isn't it like that for all mothers?

 なぜ私が保育園のイベントで、というより毎日、子どもの成長を見るにつけ心を動かされるのか。その理由をもっとよく知りたいと思っています。
 そして、親には自分を成人してくれたことを、そのことだけでももっと感謝したい。

 今日は研究室で企画したBBQ大会。小さな子どもも、たしか7人来る予定。今朝何か、お菓子を買って行こうと思います。自分が何かすることで、人に少しでもたくさん笑ってもらえるようにしたいものです。