福島原発近隣の農地のいま(2013年8月)



 富岡への一次立入のスクリーニング手前に広がる、この景色。一見、美しい緑に見えるかもしれません。しかし、これは決して元あった農地の姿ではありません。

 4年前までの今頃は、ここにも緑の稲がぐんと背丈を伸ばしていたはずです。今ここに広がっているのは、雑草が刈られただけの農地の姿。
 隣の広野町までは、背丈を伸ばした稲の姿を見ることができるのですが。



 奥に見える塔のようなものは、富岡町にある福島第二原発のもの。そのすぐ横の農地の一部は今、キリングループが行っている実証実験圃場になっています。
 一度表面の土壌を剥がして除染した農地に、果たして作付けはできるのか。作付けすると、どこからどのくらいの放射性物質が検出されるのか。そういったことが試験されていくのでしょう。
 葉の色や根元を見た限り、決して、しっかり管理されている圃場とは言い難い状況でしたが・・・。

 なお、どうせ米を実らせても売れないのだからと、草を刈らないとどうなるかというと、こちら。



 雑草が高く生い茂ってしまいます。あと1年も放置されれば、小さな木も生えてきてしまうでしょう。もしそうなれば、たとえ放射能汚染が解決しても農地として使うまでには、また非常に長い年月を要してしまうことになります。
 何をどう見通して、誰が何を担当するのがいいのか。現場を管理する立場の人には、そんなことが求められているのです。

 汚染土壌を集めた黒い袋は、“仮置き場”とされた農地に三段にも積まれて置かれている状況。これは、今後もまだ増えるのであろうとのこと。

 なお、上の写真で見える架線は、JR常磐線の今も不通の区間です。先日、広野駅まで復旧がなされたばかりですが、富岡周辺の不通区間がどうなっているかというと・・・



 架線がなければ、ここに線路があるだなんて判りません。ここにも草が大量に茂っています。線路は農地とは違い、復旧する場合には除草剤をまけば良いのかもしれませんが。

 そして、福島第一原発により近い地域では、これよりも深刻な状況が今も続いているわけです。

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 この富岡町に入る直前、国道沿いにある道の駅ならは(楢葉町)は今も、休館中で警察署の庁舎になっています。道の駅の少し洒落た建物に、たくさんの布団が干してありました。

 広野あたりでは生活している人も多い一方で、その土地を離れた人の家でしょうか、屋根瓦が落ちたままの家もちらほら。

 久ノ浜あたりは、生活を取り戻しているように見えるものの、津波の被害を受けた海岸は今も護岸工事中。





 そして、こちらは四ツ倉港にあった舟の残骸。営業を再開した「道の駅よつくら港」の裏にも、津波被害の爪跡が今も残っていました。

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 環境汚染物質のリスクをどう考えるのか。「絶対に壊れない」ものとして設計された原発のリスクは何だったのか。
 それについて、ここを一度見た私がどうと言える立場ではありません。しかし、衛生のラボの助教としてこれを知らないとか、あり得ないと。今しかないここの現実を見なければと思い、案内してもらえる範囲で見学をしてきました。

 除染の効果と放射性核種の半減期の効果で、第二原発周辺の空間線量は高い場所でも、手に届く範囲では4μSv/hr未満。通常生活する範囲では、1μSv/hr前後以下と言えるのが現状です(2013年8月)。
 このレベルの空間線量は、「飛行機に乗るレベルと同等であるが、パイロットで何らかの疾病の罹患が多いか?」と考えれば、少なくとも成人に対して、外部被ばくは問題になるレベルではないと考えられるでしょう。あくまで、外部被ばくは。
 そのため、福島第一原発に至近(20km圏内)の地域を除けば、問題は(放射線に関しては)内部被ばくということになると思います。

 私が今回、「農地」に注目してここを訪れたのは、その辺りの考えがあってのことです。

 生活者の現場を守り、現場で奮闘されている方々に心から敬意を表します。