リスクの比較は可能なのか

・「リスクという考え方」は不幸を起こさないための知恵である
・「リスク」は比較が可能
・「リスクの比較」は選択にヒントを与える

 その通りだと思います。そうなのです、が。

 リスクは「どうしたら」「どのように」比較できるのか。これを実行できるいくつかの方法が確立されているわけではなく、これに答えを出すことも容易でないのが現時点(2012年4月17日)での状況であることを、私は今日はっきりと理解しました。

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 実際に、「リスクの比較をどうしたらできるのか」という問いに対しては、「何と何のどのようなリスクを比べようとするのか、具体的に示されないと答えられない」というのが、識者による現時点での回答でした。これが、“工業製品等の品質の向上、安全性の確保及び取引の円滑化のため”の事業を行う製品評価技術基盤機構(NITE)の理事長・安井至氏の、現時点での回答です。しかも、同氏ご自身が「リスクは比較できる」と仰った直後の回答です。
 “選択にヒントを与える”リスクの比較を可能にするには、その方法が一般化される必要があるでしょう。しかし、その実現はまだ近くないことを、この回答は改めて感じさせます。(※「リスク対策の難しさ」、2012年3月6日)

 「リスク評価」の分野ではいま何ができて、何はできないのか。これがフェアに評価され、次に何を解決したら良いのかが問われる必要があります。これは課題解決のプロセスとして当たり前のものですが、その当たり前のことを見直す必要があります。自分(たち)に「何ができて」「何ができないのか」を自覚すること。そのリテラシーがなくては、コミュニケーションにも議論にもなりません。
 (ということが、私のお世話になっている先生との今日のディスカッションにも挙がりました。)

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 リスクの比較の一つの形は、(比較方法の詳細を確認していませんが)このようなものかと思っている例が一つあります。

図録:寿命を縮めているもの(ウェブページ「社会実情データ図録」より、2010年7月2日)

 実際のリスク評価では、「死」以外のエンドポイントも検討する必要があるでしょう。

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 なお、上に紹介した質疑応答で、「リスクの比較」を実現するためには「何と何とを比較するかを明らかにした上で、各々のシナリオを描くこと」であると同氏はコメントされました。そして、どのシナリオ(リスク)を受け入れるかは個人の判断に委ねられる形が望ましいとも述べられました。
 では、そのシナリオ、およびシナリオを描く過程の妥当性は、誰がどのようにして検証するのでしょうか。

 現時点で私はその答えを持ち合わせていないのですが、今日は頭が回らなくなってきたので、ここまでにします。「リスクに人がどう相対するか」という課題は、これまでにもここで何度か事例を挙げて触れてきました。この課題は非常に重要なものであると思うので、またの機会に。