東日本大震災の何が想定外だったのか、これから何が起きるのか-SMCセミナー

 ここ1ヶ月半の間、「想定外」「未曾有」という言葉を何度聞いたでしょうか。それらはときに、程度を強調するためだけの誤用であったり、実は語り手の無知の言い訳でしかなかったりもします。一方で、本当に想定外であったと言えるものもあります。

 本当に想定外であったのはどの範囲であったのか。それは、『過去のデータに基づいて』どのような可能性が指摘されていたのかを知り、どのような知見がすでに報告・発表されていたのかを確かめることにより、理解することができます。

 2011年3月以来の東日本大震災では何が本当に「想定外」であったのか。下のセミナーでは、その課題が取り上げられました。そして、その因果に科学や報道がどう関与できるのかについて議論が交わされました。
 本日、私もそのセミナーに参加してきました。そして、「これから何が起きるのか」を考えてみました。

・「東日本大震災の何が想定外だったのか。これから何が起きるのか。
 登壇者: 隈本邦彦教授
 主催 : サイエンス・メディア・センター
 (2011年4月29日)


 最近「想定外」という枕詞をともに語られた事象のいくつかは、ここ5年以内の間にもデータに基づいた報告がなされ、それが起こる可能性も報道で指摘されていたようです。
 いま問われるのは、その報告や報道は果たして活かされたのかということです。もちろん、活かされた例もあるでしょう。しかし、データや情報がよりよく活用されれば、もっと社会の防衛に生かすことができたものが多くあるのです。

 もちろん、記事がデータを示して危険を訴えるだけのものでは、あまり活かされない結果になってしまいます。そのような記事は大して取り上げられず、結果的に社会に広く認識されることもないでしょう。
 データに基づいて提示された可能性と併せて、「それを踏まえて・それに備えて何ができるのか」。そこまで示して読み手を引きつけ、読み手の意識や行動に変化をもたらすことのできるものが「良い記事」なのだと思います。講演者の隈本先生も、「具体的にイメージできる対策を促す報道を期待したい」とおっしゃっていました。

 もちろん、“活かされる記事”を作るためにはさらに工夫が必要だとも思います。しかし、「良い記事」や「有用な情報」を「災害前に」発信できる伝え手の価値が今改めて注目され、求められているのは事実です。


 最後に、今回のセミナーの結論は、本当は「想定の内」とできたものを「想定外」とさせないよう、ジャーナリズムや科学、科学報道は変化する必要があるということであったと思います。
 なお、このセミナーでは、震災に関連して上がった個々の事象が想定の内外のどちらであったかということも事例として示されました。その内容については、ここでは触れません。

 先月からの震災は現在も続いています。加えて、次がいつ来るのかは正確には誰にも分かりません。しかし、次に備えることはできるのです。