若い人の力を信じています

 昨日は研究室の忘年会でした。
 私にとって今年、2013年は、助教として初めて仕事をし通した1年間でした。どんな仕事があるのかと、不安も感じたスタートでした。が、多少仕事が増えたくらいで、私のやるべきことや考えるべきことが変わらなかったのも事実です。そのことには、ある程度自信を持てました。

 もちろんそれは、若い助教が仕事をしやすいようにと、薬学部の先輩助教の方々がいろいろな工夫をしてくれたからに他なりません。この1年ほど、先輩方に感謝したときもなかったように思います。

 1年前のエントリで、私はこう書きました。「今の学生の興味やビジョン」が分からなくなったときには、私は大学の教員という立場を離れなければならないと覚悟しています。と。
 奇しくも、この1年ほど「学生の言葉や考えが分からなくなったら、学生を指導する立場から離れるべき」だと思ったことも、初めてのことでした。自分の仕事を楽しめることと、それを人と共有できることとは全然違うのです。
 自分自身がうまく言葉にできなかったり、十分に時間をとれなかったりしたことも、少なくありませんでした。そんな中でも、どれほど自分が大切にするものに、真摯に向き合えたでしょうか。

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 基本的に私は、若い人の力を信じています。若さの力を信じています。

 年上の者はしばしば、年下の者の言葉や行動に不安を感じたときに、その原因を能力の差であると考えます。しかし多くの場合、それは年上の者の勘違いです。

 たしかに、知識やノウハウの蓄積量に違いがあることは少なくありません。しかし、年下が年上と違う考えを抱くのは、年下が無知・無能であるからではありません。
 年が3年も4年も違えば、見てきた世界(時代)が違うのは当たり前です。だって、3,4歳も違ったら、「自分が目にしたニュースで一番古い出来事」だって全然違いますよね? 成長してきた環境も違います。そして、環境は間違いなく、時間が経つにつれて進歩しているのです。
 そんな中で、年下の者が「未知」を「既知」に変えていった結果、興味の矛先を年上とは違う方向に向けるのは当然のことなのです。

 私は、人が持つこの「未知を既知に変えていく力」を信じています。

 ときに年上は、自身の「既知」の範囲外に年下の者が向かってしまうことを恐れます。しかし、有能な年下ほど、年上の「既知」の範囲の狭さを批判的に見ることができます。少なくとも大学は、教授・上司のコピーを作る場所ではないのです。その批判に年上が理不尽でしか応えられなかったとき、年下はその年上を見離すことになるのでしょう。
(私はこれに関して、大学の外のことはまったく知りませんが。)

 逆に、私が学生に伝えたいメインメッセージの一つは、「自身の考え/主張を相手に伝えられるための表現力を付けよう」ということです。

 何か主張して状況を変えたいと思ったら、「何をどう変えたいのか」を明確に示さなくちゃいけない。そして、これを明確にした上で、「そう考える理由は何なのか」を洗練する形で示さなくちゃいけない。考えていることをすべて伝えれば伝わる、と思ったら大間違い。
 目的(コミュニケーションのゴール)次第で、伝える内容は変わるものなのです。

 そして、人の伝えたいメッセージは、目的さえ意識すれば伝わるものであるとも信じています。

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 もっともっと、生産性を上げられるようになりたいと思います。私は以前に、時間と体力も有限の資源と書きました。同じ仕事をこなすのに必要な時間を最小化できなければ、学生の研究を導くことなんてできないと思うのです。
 少なくとも、上司が「良い仕事には一日何時間でもかけなければならない」と勘違いしてたら、絶対に部下は(仕事に何時間でもかけたいと思っている部下でない限り)幸せになれないのです。

「あなたにしかできない仕事」はない駒崎弘樹氏)
―組織・チームのマネジメントについて非常に重要な示唆をくれる記事。

 そういうことを、私は最近改めて強く感じています。

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 昨日の忘年会は、いろいろと学生や先生方と話すことができて、楽しく有意義な時間でした。

 ここにはっきりと書きます。

 大学院で皆さんが一番経験すべきは、何かを学ぶことではないと。それよりも、「何のためにそれを学ぶか」が大切なのだと。(学ぶことが目的でも構いませんが。私にとっては、その営みにコストを払う優先順位は低いです。)

 工夫をして、20時間分の仕事を15時間でこなそうなんて思うことはない、と。20時間分の仕事を2時間でこなすことを考えよう、と。工夫なんかじゃなく、それを実現できるイノベーションの可能性に目を向けよう、と。それを考えてワクワクするような仕事にこそ力を尽くすそうよ、と。

 20代(に限りませんが)という貴重な時間の一部を、決して安売りすることなく。将来の自分のためにこそ、その時間を使ってほしいと強く思います。時間は有限なのだ、ということを忘れずに。
 貴重な時間を「何のために使うのか」を大切にしたい。そして、自由から新しい発想を生み出すプロセス、自由な立場を生かして前に進む力をこそ尊重したい。そう思うところです。

 で、忘年会から帰ってきてPCを開いてみたら、大変に嬉しいメールが一つ来ていました。その話は、また後ほど。