沖縄・米軍基地問題をどう捉えるか

昨日は、こどもの日でした。
この日の朝日新聞の「天声人語」は、
言い得て妙を極めていたと思います。
最近、混迷の様相を呈している普天間
米軍基地問題を表すものでした。

4月末には沖縄県民集会、
5月初めの連休中に、鳩山首相が沖縄訪問とあって、
連休中のトップニュースはほぼ常に、
この問題を扱ったものでした。

沖縄で米軍基地反対の大規模県民集会(2010年4月25日、AFPBBニュース)
鳩山首相に批判の嵐、普天間飛行場移設問題(2010年5月5日、AFPBBニュース)

この問題について、様々な人の考えが、
有識者の意見や世論も含めマスコミで
多く取り上げられています。
いずれも、意見を発信させるべく
一貫性を持たせて取り上げられているでしょう。
ここで読み手に注意が必要なのは、この問題が
日本の政治課題の「極めて重要なものの一つ」であり、
ただ一つの重要な課題ではないということです。

「この問題の対応に失敗したら首相退陣」という評は、
これを見誤っているという点で非常に危険です。
このような事態になったら、日本で政党政治
もはや成り立たなくなってしまうでしょう。


沖縄の米軍基地問題を、有識者がどう捉えているか
については、各々発表されているものをご参照ください。
また、前の自民党政権や今の民主党政権
総評についても、他の多くの有識者から
出されているものに譲ります。

私が気になるのはそこではなく、ただ一点です。
去年の“政権交代”前後からの一連の政治の動きが、
日本の民主政治の未成熟さを露呈しており、
それを市民がどう捉えているのかということです。
未成熟なのは政治家だけではなく、
それを評する者たちもまた然りです。

日本の民主政治が未成熟であるかもしれないといって、
民主政治を捨てるわけにはいかないでしょう。
より成熟した民主政治を持った国家となるために、
何をどう評し、考え、どう捉えるか、
そして何をどう進めていくか、何を支持していくか、
よく考えられる必要があると思います。

建設的な考え方や意見の捉え方を、
こどもに示していくことができるような、
「おとなの対応」とは何かが
問われているようにも思います。


最後に、冒頭に紹介した朝日新聞の『天声人語』を
一部抜粋し、紹介致します。


 井上靖が5月の曖昧(あいまい)さを随筆に書いている。〈春の百花を咲き誇った饗宴(きょうえん)は終(おわ)ろうとし、夏の烈(はげ)しい光線はまだ訪れて来ません……私は、春でも夏でもない、どっちつかずのこの短い季節が好きです〉。大作家の感性は、中ぶらりんを中庸の妙と受け止めた。

 どっちつかずの短い季節――。今の鳩山首相には痛い言葉だろう。

 曖昧に味があるのは四季の移ろいであって、外交のどっちつかずは危険この上ない。

 こどもの日は母に感謝する日でもある。当然、首相も思いを新たにしよう。命がけと言うなら、沖縄と徳之島の子どもたちのためにかけてほしい。ゆめゆめ米国の代理人として、あてもなく南の島を訪ね歩くことなかれ。それでは子どもの使いである。

 (2010年5月5日、朝日新聞朝刊1面「天声人語」より)