ラボを運営する「教授」も部局を統括する「長」も、科学的にデータを読めて技術を理解できるだけじゃ全然ダメだと、常日頃から強く思います。
その人が、他の人と一緒にプロジェクトを進めていく、という立場なら、本当に。
データを読めて技術を理解できれば、研究はできます。しかし、研究プロジェクトを統括・管理しようとしたら、それだけじゃ全然ダメなんです。人が、とくに人の気持ちが見えないと。理由は言うまでもなく、プロジェクトを実際に動かしていくのが「人」であるからです。
そのプロジェクトに関わろうとする人が、どういう想いを抱き、何を狙って、どんな都合を抱えながらそれに関わるのか。そんな「人」のことを見えない人がプロジェクトのマネジメントをする体制になってしまうと、プロジェクトに関わる人が皆不幸になります。
プロジェクトを管理する人は、そこに関わる人がその場で、どういう気持ちで取り組めるかってことに無関心じゃいけないってことです。
逆に、「自分はプロジェクトマネジメントできる」とか「人が見えてる」などと勘違いしてる人が上に立ってしまうことは、最も厄介なことの一つであるとも思います。
例えば、数十人の組織の長を経験した人が、重要な意思決定を実質的に数人規模での会合でしか行った経験しかないにも関わらず、「自分は数十人規模を束ねられる」と勘違いするとか。それは絶対に避けるべき事態です。意思決定のために数人の意見を調整するのと、数十人のそれを調整するのとでは、多様な意見への対応に必要な工夫も労力も全然違うのです。
プロジェクト管理に最低限必要な基本スキルや知識のうち、「人材は重要なリソース」ということくらいは、例えば独学で経営を少し勉強しただけでもはっきりと理解してもらえると思います。
ラボで言えば、「自分の専門の研究に大学院生を触れさせさえすれば学生には学びがある」と勘違いしてる教授をどこの大学でも目にしますが、本当にアホなんじゃないかと思います。
(当然ですが、大学教授が皆そうだという意味ではありません。念のため。)
彼らが次につながる何に触れられるかということに、無頓着じゃいけないんです。それに、自分の仕事を楽しめることと、それを人と共有できることとは全然違うんです。
関連エントリ
・続けるためではなく、終えるために
・大学院教育の質を保証するプログラム
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プロジェクトを動かす上では、「人が見えること」が重要。そう考えたときに、若い人が経験すべきと思うこと。それは、ある程度以上の規模のプロジェクトの意思決定の場を経験すること、そしてプロとして自立することです。
そうすれば、多様な意見を持つ多様な人にどういった配慮が必要なのかが、少しずつ、少しずつですが見えてくるでしょう。もし逆に、そういった場が自分に合わないと思ったらその事実を理解することで、後々大きなプロジェクトの中心に入り込んで自身が消耗することを、あらかじめ防ぐこともできるようになるはずです。
わがままを言って人を不幸に巻き込むのではなく、小さなひと工夫で人を幸せにできる人間になりたいものです。
そんじゃ。
2015年4月18日追記: どうしたら「人」が分かるのか。その示唆を含む面白い記事を見つけました。
⇒「政治家よ もっと真面目に首相を選べ」(原田泰氏、Wedge 2012年11月29日)