茨城・小美玉〜鉾田の鉄道廃線跡を巡る

 6月初めの日曜日に、小美玉の小川文化センターで行われていた鹿島鉄道線(1924〜2007)の「開業100周年記念展」を見たいといううちの中学生のリクエストで、その廃線跡を回ってきました。昨年夏(2023年7月)は石岡からレンタサイクル(私はランニング)で回りましたが、今回はそれより奥(東)の鉾田まで行くぞということで車にて。

 このときに回った石岡から常陸小川から小川高校前の東にも、ところどころで駅の跡が現れます。


 巴川駅跡。近くにお住まいのご家族が、周りの線路や駅の跡のことを教えてくれました。廃止になってからの時間がまだ20年ほどだと、前後の線路の跡が薮になっていても周りの人たちの記憶はまだ鮮明。ですが、鮮明な記憶のお話を聞けるのは20年ほどの今がラストチャンスなのかなと思わなくもありません。

 巴川より石岡(西)側には、今ある県道の南側の森の方に、道路にかつて横切っていた線路の跡が現れたり、駅跡も現れたり。


 借宿駅跡。


 こちらは巴川の先(東)隣の、坂戸駅跡。


 起点(石岡駅)から25km地点であったことを示すキロポストの跡も(左下)。


 この小さな駅跡に貼ってあるかつての鉄道の写真も、色褪せてきてしまっています。


 奥の坂戸駅に向かう線路の跡を、左右に道が横切るところ。かつては踏切があったでしょうか。カーブミラーは外れて道の反対側に落ちていましたがこれは……いいのか?

 東側の終着駅だったのは、坂戸駅から1.9km先の鉾田駅。今はバスターミナルがすぐ隣にあります。廃止後に駅舎が解体されても、ホームはその場に残っているのですが、


 そのホーム跡にはこの通り、2011年3月11日に起こった東日本大震災の爪痕が残っています。そう、あのときは茨城県南も高速道路(常磐道)や国道(294号)も道路が軒並み脈打って、数週間以上はボコボコとこんな風に歪んでいるところがたくさんあったんですよね。廃線跡だからこそ残っているこの爪痕、なかなかに凄まじい。

 当時の車両の一部が鉾田駅構内の駅名標と一緒に、近くのほっとパーク鉾田に保存されています。


 車両は大変きれいに保存されていますが、これってちゃんと手入れをしないとすぐに錆だらけになってしまうはずなんですよね。現在は鉾田駅保存会の人たちが精力的に活動してその手入れをしているようで、うまく人やお金を呼べる持続可能なものであってほしいと思います。

 小美玉での開業100周年記念の展示では、廃線となるに至った経過を輸送密度の経年データをグラフにし、考察もされている内容が目を引きました。利用者が少なくはなかったものの距離が長かったので、路線の維持コストもかかる鉄道が維持できなかったとのこと。インフラはたとえ利用者があっても、その密度が低いとコストが見合わなくなるのを再認識します。まちづくりには密度が重要、ということは押さえておきたいものです。