第一次世界大戦とスペイン風邪から100年、ベルリンの壁崩壊から30年、メルケル氏が16年間務めたドイツ首相を退任

 2021年末にドイツの首相の任を終えられたアンゲラ・メルケル氏が、2022年4月の NHK BS『映像の世紀』で特集されていました。それを聞いたときは、メルケル氏がもう "歴史" で語られる人になったのかと驚いたのが第一感でしたが、そのメルケル氏は2005年から16年間にもわたって首相を務められたのが事実です。

 ベルリンの壁崩壊に象徴される東西ドイツの統合後に政界に転身し、その15年後にシュレーダー氏を破って首相に就任。2010年代には "アラブの春" 直後の難民受け入れを表明し、その後も変わる世界情勢の中で米露の指導者にも冷静な対応を見せて、国際的にもドイツの存在価値を示し続けた、名宰相だったと思います。首相退任後はひとまずゆっくりされたいということで、東ドイツ時代から希求されたであろう自由で豊かな生活を満喫していただけるよう心から願うばかりです。



映像の世紀バタフライエフェクト「ベルリンの壁崩壊 宰相メルケルの誕生」 (U-NEXT)

 ベルリンの壁崩壊の75年前、1914年は第一次世界大戦が始まってしまった年。その大戦は、"スペイン風邪" と呼ばれた新型鳥インフルエンザ 1918 flu (H1N1) の感染とともに終わりました。"スペイン風邪" が終息したのは1920年ですので、新型コロナウイルス SARS-CoV-2 がパンデミックを起こした2020年のちょうど100年前のことです。

 当時は新型の感染症にすぐに対応できるワクチンを作れる時代ではなかったので、"スペイン風邪" は結局世界で感染者5億人、死者4000万人を出して人々が集団免疫を獲得したことで、終息したと言われています。そもそも原因であったウイルスを見るには、電子顕微鏡の登場を待つ必要がありましたが、その登場は1931年のこと。"スペイン風邪" もその原因がウイルスであったことも後に電子顕微鏡により解かれ、その後はインフルエンザワクチンが開発可能になり感染予防に使われていくようになりました。

 その "スペイン風邪" は1910年代に米国で発生し、感染した兵士が第一次世界大戦で欧州にわたったことで感染を "敵味方" 双方に、そして世界中にパンデミックを起こしたと言われます。その事実は当時、戦争中で情報統制を敷いた国(米英仏独など)からは公表されませんでした。戦地を越えて中立国であったスペインから初めに感染状況がオープンになったために "スペイン風邪" と報道され、記憶されることになったものです。

 このパンデミックで、連合国(セルビア、英仏米露など)・中央同盟国(オーストリア=ハンガリー帝国、ドイツ、オスマンなど)とも兵力を削がれる中で大戦は終結します。その戦後処理で英仏がドイツに超多額の賠償金(英仏公債に融資をしていた米国もこれを否定できず)を課しましたが、その結果ドイツで一般市民が困窮する中で台頭した政治勢力が何を招いたのかは、近代史の超重要な事実の一つでしょう。

 第一次世界大戦の影響は他にも、ドイツがロシアを倒すために革命家のレーニンを支援し、ロシア帝国が倒れて監視社会と恐怖政治のソビエト連邦ができたとか、イギリスがオスマンを倒すために南部のアラブ勢力を支援するも、アラブ勢力のダマスカス入城をフランスが空爆で阻止し、その後の中東の不安定性を招くとか……100年経った今でも片付いていないことは、2022年の世界情勢を見てもわかる通りです。

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 100年後と言わずとも第一次大戦から20年後の1940年代前半には、第二次世界大戦が起こってしましました。その戦後処理によって、日本と違いヨーロッパの大陸に位置するドイツは、国が東西に分断されてしまいます。

 その東ドイツの監視社会の中で悶々としていたのが1954年生まれのアンゲラ・メルケル氏。監視国家の支配を受けない自然に没頭しながら物理学を研究してしましたが、東西再統一で新しい人材が求められた機会に政界へ。2010年代に賛否の声が巻き起こった多数の難民受け入れでは、カトリン・ハッテンハウワー氏が東ドイツ末期に掲げた "Für ein offenes Land mit freien Menschen"(自由な国民による開かれた国へ)のスローガンを掲げて支持を表明したことが、『映像の世紀』で紹介されました。このときに首相がメルケル氏でなかったらどうなっていたことか、と考えさせられます。

 さて、第一次大戦後に解体されたオーストリア=ハンガリー帝国の名にあった国の一つ「ハンガリー」は社会主義国になり、一般の科学者たちの研究もままならなくなりました。困窮する研究環境に希望を持てずに研究の場を米国に求めた研究者にカリコー・カタリン氏がいます。メルケル氏より半年後の1955年生まれ。彼女は1985年に一家で米国にわたり、フィラデルフィアで研究に取り組みました。

 そのフィラデルフィアは、米国で "スペイン風邪" の封じ込めに最も失敗した都市の一つで、医療の限界に直面したフィラデルフィア大学病院はその後、感染症の研究拠点としての機能を発展させていました。

 そんな街で蓄積された知見から生まれたのが、2020年の新型コロナウイルスに対して初めて実用されて効果を発揮するに至ったmRNAワクチン。今回、そのワクチンで救われた人の数はどれほど多いことでしょう。

 技術に完璧はなく、いつも人は問題と向き合っては改良・問題解決の策を探っていることが、歴史を見ているとよく分かります。いま当たり前に手に入ると思えるものが当たり前ではないことを理解し、当たり前にあるように見えるものが無かったらどうなってしまうのかについて気を留められるよう、歴史(特に日本の教育で弱い近代史)を知ることと想像力を持つことが大切なんだと "歴史" の "映像" を見るたびに強く思います。

 そんなことを2022年のGW連休の前半に考えていました。『映像の世紀』を視聴しておなかいっぱいです。

映像の世紀バタフライエフェクト「スペインかぜ 恐怖の連鎖」(↑ 明日=2022年5月2日の22時まで、NHK plusで視聴できます。)

新・映像の世紀第1集 百年の悲劇はここから始まった