鹿島神宮は古来日本の「東の果て」か

 うちの小学生が授業で鹿島神宮の話を聞いたらしく、どんなものなのかを見たいということで11月下旬に行ってきました。興味の冷めないうちが吉日。

 副読本「茨城県」に出ていたという鹿嶋ですが、鹿島神宮は単に大きい神社というだけではないようです。というのは鹿島が、900年代(平安時代)に朝廷が「官社」を一覧にした『延喜式神名帳』で、当時から「神宮」と称されていた三つの神宮のうちの1つなのです。

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 「神宮」とは歴代天皇や皇室と縁の深い神を祀った神社を称するもので、稲荷神社のように特定の神を祀る「大社」とは別格とされました。神宮には今でこそ平安神宮明治神宮がありますが、この二社は創建されたのがそれぞれ明治・大正時代。当時は熱田や橿原、宇佐も霧島も神宮でなく、鹿島神宮香取神宮伊勢神宮の三社が「神宮」として別格だったそうです。

 鹿島神宮が祀るのは、日本の神話でできたばかりの日本列島を守ったとされる建御雷神(タケミカヅチ)が祀られた土地。神宮の創建年代はというと、「神武天皇元年」とのことで想像を超えていました。

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 神の遣いとされるのはここでも鹿。同じく鹿で親しまれる奈良公園春日大社(700年代に創建)へも、当時鹿島から大神の御分霊を、神鹿が背に乗せて行ったことになっているのだそうです。

 日本の地を守る神を祀る地で、江戸から遠くないということもあってか、関ヶ原合戦の後には徳川の寄進を受けた歴史も持ちます。

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 ここで一つの疑問が湧いてきました。そもそもなぜ、日本の守り神とされるものが古来から鹿嶋に祀られていたのでしょうか。

 鹿島神宮のすぐ近く、表の参道にココシカというミニ博物館があり、鹿島神宮常陸国(今の茨城県の大部分)の古来からの歴史の展示も面白いものでした。しかし、そこでも、「なぜここに」三大神宮の一つがあったのか、しかも利根川を挟んでの千葉県の香取と合わせて、鹿島・香取の二つの神宮がここにあったのかの説明はなかったように思います。いったい「なぜここに」あったのでしょうか。

 これは推測ですが、その理由は日本列島の中で鹿島が「日の出ずる」東に位置したことのように思います。もちろん三陸(岩手)や根室(北海道)など、鹿島より東となる場所が離島以外にもあることは事実です。しかし当時は、近畿あたりから鹿島に来るだけでもかなりの日数と費用を要したはずですし、ここから日本列島は東でなく北に伸びていくので、鹿島を東端に位置付けたことには納得がいきます。
 それに、日本古来の神話に天岩戸での天照大神の神話があるように、太陽は日本の成り立ちを語るのに欠かせない存在とされたんですよね。なお、天照大神を祀る総本社が、こちらも古来からの三大神宮の一つである伊勢神宮です。

 近畿の方から「日の出ずる」方角に進んだときに、その果てに当たったのが鹿島だったのではないかと。その方角の「果て」として鹿島に、当時の人は日本の土地を守る神を祀ったのではないかな、などと勝手なことを考えながら神宮を散策してきました。

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 神宮の西隣「鹿島城址」の丘から、南には水が豊富な利根川

 この地域、その玄関口が奈良時代(700年代)までは河川の多い今の東京都心でなく、三浦半島から浦賀水道(海路)を経ての富津岬だったんですよね。なので当時は、富津が千葉より陸路では端にあっても「上総」と呼ばれ、千葉を含む地域の方が「下総」。
 そもそも陸路で通ることになる今の東京都心は利根川や荒川などの大河川がたびたび流路を変える土地だったところを、東遷事業によって水量の豊富な利根川を銚子に流れるようにしたのが1600年代。陸路も川の流路も時代が違えば変わっていたことの好例です。
 この路(みち)の違いは、今の県境と当時の国境の違いにも表れています。今の茨城県の南西端は利根川にあり、ほぼこの川に沿って茨城と千葉の県境があります。しかし、中世以前の常陸と下総の国境はこの川なく、今の小貝川付近で分けられていました。

 こうやって新旧の地図を見ていると、いつ誰が何を考えて何をしたのかの歴史が in situ で分かって面白いものです。(ところで、in situ って日本語で何て言うんだろ?)

 さて、この鹿嶋に行った日は、海辺の断崖にきれいな地層が見える屛風ヶ浦(千葉県旭市)にも行きたいと小学生が言うのでそちらも行ってきました。といっても、鹿嶋が思いがけず面白く午後まで散策してしまったので、屛風ヶ浦に着いたのはもう日没間近。ここも千葉県の「東の果て」に近いので、海は東にしか見えないと思いきや、目に飛び込んできたのは日の入りのこの景色でした。

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 夕陽に照らされる海に、九十九里浜のなす滑らかな弧。屛風ヶ浦のある刑部岬が南向きに海にせり出す場所だったので、思いがけず西にも広がる海を観望できました。

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(飯岡灯台@刑部岬)

 しかし、また明るい時間帯に屛風ヶ浦の地層を見に来なくては。興味の冷めないうちが吉日。