五輪ランナー (1992) が登ったモンジュイックの丘@バルセロナ

 国際会議での研究発表を終えて、バルセロナのモンジュイックの丘に行ってきました。この日は朝に大雨。夜は雷雨だったので、夕方に晴れ間が出てくれたのは幸運でした。

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 モンジュイックの丘は、1992年のバルセロナオリンピックで女子はワレンティナ・エゴロワ選手(金、EUN/ロシア)と有森裕子選手(金、日本)、男子は黄永祚選手(金、韓国)と森下広一選手(銀、日本)に続いて各選手が走ったマラソンの最終盤にあった丘で、どうしても見たいと思っていたところでした。

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 モンジュイックの丘にあるオリンピックスタジアム、その外壁(左)。スタジアムは元々、1936年に当時のドイツ(ベルリンオリンピックを開催)に抗する形で大会を開催すべく準備されたもの。
 そのスペインも内戦勃発(~1939年)により大会を開催できず、50年以上経った後に改修の上でオリンピックのメインスタジアムになったものです。スペイン内戦後のフランコ独裁政権により処刑された、カタルーニャ自治州 (Generalitat de Catalunya) 当時代表のリュイス・クンパニィスの名を冠し、今はEstadi Olímpic Lluís Companysと呼ばれています。

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 モンジュイックの丘は、まずバルセロナに着陸するときに思いがけず飛行機の窓から見えたのですが、すぐ感じたのが「想像していたより険しい」。街のすぐ横、それも港のすぐ横にあり海も近いのですが、マラソンコースに使われそうななだらかな傾斜の丘には見えず、木に覆われ浅いお椀をひっくり返したようなその形に驚きました。

 ふと「モンジュイック」のスペルを見ると、Montjuïc。Montって、そのまま「山」ではありませんか。本当にマラソンコースの終盤で、この丘を登ったのかと。しかし間違いないですよね。

 今回モンジュイックの丘で、私は当時のマラソンコースや写真を見たいと思い、スタジアムの隣にあるオリンピック博物館に入りました。しかし、メダリストの名前までは見つけたものの残念ながら競技の写真はなく、翌朝にネットで探し回ってみました。

バルセロナオリンピックの男子マラソン (YouTube)
 終盤の険しい丘を登る途中、ふっと坂が下りに変わるところがあり、そこで黄選手と森下選手の差が開き始めます。しかしどの選手もすごい。この日のために準備を重ね、40km走ってきて最後にこの坂を登ったわけで。
 レース中盤で選手同士の接触により転倒し、靴が脱げてしまった谷口浩美選手の「途中で、こけちゃいました」の言葉があったのもここ、バルセロナ。転倒で30秒近く離された後、本当は走りたかったであろう先頭に戻れなくても「精一杯やりました」とご自身が振り返った走りで8位入賞。どれだけ調子が良く力もあったというのか。

 このレースについては、Sportivaの2019年7月に書かれているこの記事が詳しく面白いです。

sportiva.shueisha.co.jp

バルセロナオリンピックの女子マラソン (YouTube)
 そして女子マラソン
このYouTube冒頭のサグラダファミリアは、まだ今よりも建設が進んでいない姿。1:07に出てくる映像もそれで、今とはまったく形が違うようです。2:19からみえるのがカタルーニャ美術館とマジカ噴水で、そこがエスパニョール広場からモンジュイックへの入り口。ここの実況でも「(残り4kmで)標高差80mを登る」と言っていますね。

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 エスパニョール広場。選手たちはここを左奥に走っていったはず。しかし、バルセロナオリンピックのマラソンコースすべては分からないものの、市街地も歩いていると港から陸地に向かって緩い坂ばかりです。オリンピックでのコースは、モンジュイック以外も緩い坂ばかりだったのではないでしょうか。

 そして、有森選手はこのバルセロナの後にご苦労や故障もされたあと、4年後のアトランタでもマラソンで銅メダルを獲得されました。

www.youtube.com

 自分もがんばろう。

 

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チューリヒ経由でバルセロナに到着(2019年10月20日
●五輪ランナー (1992) が登ったモンジュイックの丘
バルセロナの美しい町と2019.10デモの跡