祖父母が呼んでくれた上田の観桜、そして歴史探訪

 親戚がいてたびたび訪れる土地であっても、長期休暇のない秋や年度初めの4月にはなかなか来れないものです。
 しかし
今年は4月の初めの週末に、義理の祖父の一周忌で長野の上田に行っていました。この時季に長野に来たのは初めてでしたが、2021年は桜の花が全国的に早く長野でも4月初旬には満開だったので、思いがけず桜満開の上田城を望めました。

 
上田城の表玄関にあたる通りを、朝走っていて知った桜の満開っぷり。

f:id:umerunner:20210503001133j:plain

 これは観たいと思い、走る足を止めて正面の東虎口櫓門に向かいました。

f:id:umerunner:20210503001219j:plain

f:id:umerunner:20210503001339j:plain
 そしてさらに奥の、西櫓を背に。

f:id:umerunner:20210503001413j:plain
 西櫓から南櫓をつなぐ石垣の下、かつては千曲川と並行した水が迫っていたという尼ヶ淵の側にも桜満開。

 しかし、そもそもこの上田はどういった理由で栄えたのでしょうか。今の県庁所在地は、飛鳥時代の642年(皇極天皇元年)に飯田から善光寺が移転してきた長野市。上田は中山道の宿場であったわけでなく、そもそも中山道は佐久から下諏訪まで、芦田(立科)に長久保和田峠(長和)と今の国道142号に沿うルートを抜けていて上田を通ってもいません。
 それでもなぜ、関ヶ原の戦いのときにも徳川秀忠軍が気にする拠点が上田に築かれたのか。

 そのヒントは上田市内に信濃国分寺が置かれていることにあるようです。

f:id:umerunner:20210503001505j:plain
 これがその、今も立派な構えを残す信濃国分寺(写真は2018年11月下旬)。国道18号沿いにあり、駅もしなの鉄道(以前のJR信越本線)に上田の隣駅が置かれています。

f:id:umerunner:20210503001538j:plain

 国分寺奈良時代の741年に、聖武天皇の詔で各国に立てられましたが、普通それはその国の国府の近くに置かれました。ということは、信濃国府は奈良時代後期(700年代後半)には松本にあったとされるものの、それ以前は上田にあった時期もあった可能性があるということのようです。

 そんな話に、2年半前(2018年11月)に信濃国分寺資料館などを見ていて関心を持ったのでした。

 そもそも古代におけるこの地方への文化の伝播は、山間部では中山道に相当するような道でなく川を伝ってきたようです。弥生時代の稲作の伝播も然りで、東海から天竜川沿い(河口は浜松と磐田ですね)に伝わってきたという説が有力とのこと。それで、山間部の他に盆地にあたる上田平に集落ができ、町として発展していたところに、中世末期に千曲川沿いの要害に城下町が築かれたことが今の上田にある史跡の多くを遺していると言えるということなんですね。
 そう考えると、上田が栄えたきっかけは道でなく、川を遡って峠を越えたところに盆地があったことだと言えるのかもしれません。勝手に考えてみただけですが。

+++

 この信濃国分寺にふらっと朝走って行っていたのも、義理の祖母の法事で来ていた秋でした。たびたび行く場所に普段と違う季節に行く機会というのは、何か考えるきっかけや特別な印象をくれるように思います。

 歴史のうち、今の社会を知る上では近代史が何より重要です。しかし一方で「何でここに集落が?」「何でここに小地域の拠点が?」ということが気になったとき、そのヒントに縄文~弥生時代といった古代のことがヒントになり得ることも最近ようやく実感し始めました。

 そんなことを思った秋の方の、上田城跡公園。春~GWは桜の花や新緑が囲む道に、秋は紅葉のトンネルが。

f:id:umerunner:20210503001903j:plain

 そして再びの東虎口櫓門。

f:id:umerunner:20210503001816j:plain

f:id:umerunner:20210503002233j:plain
 2つの櫓に南北を挟まれている櫓門は、その2階を通って2つの櫓の間を行き来できる構造。中にある上田城の歴史についての展示は、うちの小学生もお気に入りです。防御のための櫓門の造りに加えて、第一次・第二次上田合戦で二度にわたり徳川勢を退けたことを、これでもかとアピールしてくれる動く展示もあるのです。

f:id:umerunner:20210503002306j:plain
 桜を映していた水堀。向こうに北側の山も見えるこの絵が好きです。

 今度はここの周りの山城に行きたいな。と、うちの小学生が張り切っている今日この頃です。長野は南西部も北東部も、中世の軍事勢力どうしの争った様々な舞台がツッコミどころ満載ですし、そのときは張り切って行きたいと思います。